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意外と知らない北九州

2012.07.04
皆さん、意外と知らない全国区の北九州発祥のものがあるのを御存知ですか??
1. ひよ子 2. チロルチョコ 3. アーケード街 4. スーパーマーケット(丸和) 5. 焼きうどん

6. バナナの叩き売り 7. パンチパーマ 8. 競輪 9. TOTO 10. 地図のゼンリン

11. 八幡製鐵所(新日鉄) 12. チロリアン(千鳥屋) 13. 日立金属 14. 日産自動車 15. 出光興産
16. 都市モノレール 17. 釣り大橋(若戸大橋)

1. ひよ子

東京銘菓だと思っている人が結構多いが、実は福岡は飯塚の吉野堂が本家。
東京オリンピックの時に東京進出。東北新幹線の開通とともに、なぜか東北や北海道の出稼ぎ労働者の故郷へのおみやげとして定着し、「株式会社 東京ひよ子」という別会社を設立して、東京銘菓を標榜することに。
福岡の本家は本社を福岡市に置く「株式会社 ひよ子」で、本店は発祥の地、飯塚。通称は「吉野堂本舗ひよ子」。うっ、わかりにくぅ~
てっきり東京銘菓と思いこんでいる東京人が、福岡を訪れたときにおみやげとしてこのひよ子を持って来るという悲劇が日夜起こっており、苦笑いと冷や汗が絶えない(笑)
ひよ子のホームページはこちら

2. チロルチョコ

♪10円あったらチロルチョコ♪でおなじみ(え、もはや死語?)のチロルチョコも福岡発祥。
田川市に本社を置く松尾製菓が1962年(昭和37年)に製品化。
現在はチロルチョコ株式会社として分社化し本社を東京に移しているが、製造は今でも松尾製菓が担当している。
当初は3個包装で10円で販売していた。
物価上昇に伴い、1個包装になったとはいえ、現在でも10円で売っているのは驚異。
なお、コンビニではバーコードの必要上、サイズを大きくせざるを得ず、20円で販売しているのは、周知のトリビア。
ホームページはこちら
 

3. アーケード街

商店街のアーケード。全国どこにでもある風景。最近は「シャッター通り」と化しているところも多いが。
このアーケード発祥の地が実は、小倉北区の魚町銀天街。1951年(昭和26年)のこと。
魚町銀天街のアーケードといえば、休日ともなれば、北九っ子なら誰もが通った、余りにも馴染みの深い場所。
そこが実は由緒正しき?アーケード発祥の地だとはほとんどの人が知らない。
 

4. スーパーマーケット(丸和)

スーパーマーケットの「丸和」そのものは、北九州に住む者以外、馴染みがないかもれない。
しかし、このローカルで小さな店舗が、実はこの国の現在の小売り業界の礎を築いたといっても過言ではない。
このスーパーマーケットは1956年、総合食料品店「丸和フードセンター」としてオープンしたのだが、これはかのダイエーが大阪千林駅前にオープンする1年半も前のこと。
この店には現在日本で見られるスーパーマーケットの原型がほぼすべて備わっていて、それまで日本人にほとんどなじみのなかったいわゆるセルフサービス方式や低価格高回転のローコストオペレーションなどを日本で初めて本格的に取り入れたのが、この丸和とのこと。
また24時間営業をスーパーマーケットとして初めて取り入れたのもやはり丸和なのだそうだ。
中内功がダイエーを開店するにあたって、この丸和フードセンターのシステムと「主婦の店」としてのノウハウを参考にしたと言われている。
 

5. 焼きうどん

焼きうどんのような一般的な食品に発祥もないだろうと思いますが、実は小倉北区(当時は小倉市)魚町の鳥町食堂街にある「だるま堂」が発祥。
1945年、終戦直後の物資不足のなか、関西で流行りのソース焼きそばを作りたくても中華のそば玉が手に入らず、代わりに干しうどんを茹でて焼いて出したところ大好評だったというのが焼きうどんの発祥といわれている。
なお、だるま堂はいまでも営業しており、当時のまま、干しうどんを使った焼きうどんも健在とのこと。
 

6. バナナの叩き売り

今となっては祭りの大道芸くらいでしか見かけることもなくなってしまったバナナの叩き売りだが、これも北九州発祥。
大正時代初期、輸送する船内で熟成が進みすぎたりキズがついたものを神戸に送る前に、門司区の門司港につながる桟橋通で売り捌いたのが始まりといわれる。
 

7. パンチパーマ

1970年代半ば、小倉北区紺屋町のスーパーカット「NAGANUMA」の店主、永沼重己さんが、黒人の髪からヒントを得てパンチアイロン(製品名:丸型アイロン) を超極細に改良し、その改良超極細アイロンでパーマをかけた髪型 「チャンピオンプレス(これ以上ない髪形という意味)」を発表。
これが爆発的に流行し、なぜか「パンチパーマ」と呼ばれるようになった。
1976年、小倉出身の歌手、清水健太郎がこの髪型で若手アイドル歌手としてデビューし、若者がこぞってその髪型を真似たことも爆発的な普及の要因のひとつと考えられる。
 

8. 競輪

競輪の発祥地が小倉競輪であることは結構有名な話。
終戦後の1948年、当時すでに人気を博していた競馬にならい、収益金を戦後復興に役立てるという大義名分のもと、自転車競争に賭けを組み合わせた事業が自転車競技法という法律として衆参両議院で可決。
それとは別に、当時ちょうど第3回国民体育大会が福岡で開催されることになり、莫大な費用のかかる自転車競技場の会場問題がもちあがっていた。小倉市(現 北九州市小倉北区)は、人気の野球と抱き合わせで開催することを条件に自転車競技場の建設および開催に同意。ここに小倉競輪場が誕生した。
そして第1回の競輪レースが国体の行われた小倉競輪場で開催された。
 

9. TOTO

便器などサニタリー設備・製品のトップ企業TOTOは北九州市小倉北区に本社を置く。
昔の人なら、「東洋陶器」、ちょっと前の人なら「東陶機器」という旧社名の方がおなじみかもしれない。
私の通った北九州予備校の裏にあったので、毎日その本社屋の脇を通っていたのは懐かしい思い出。
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10. 地図のゼンリン

全国的に有名な住宅地図メーカー最大手ゼンリンも小倉北区に本社を置く。
こちらも旧社名「善隣」で知っている人もいるかもしれない。
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11. 八幡製鐵所(新日本製鐵)

言わずと知れた、教科書にまで載っている、日本初の近代的な官営製鉄所として1901年(明治34年)に創業開始した製鉄所。
紆余曲折を経て民営化され、1970年には富士製鉄との合併により新日本製鐵と名前を変えるが、いまでも「八幡製鉄」の方が馴染みがあるという人たちも多い。
戦前戦後を通して日本の近代化と高度成長とを牽引した立役者である。
北九州市は八幡製鉄とともに歩んできたといっても過言ではない。特に現在の八幡東区と戸畑区は「企業城下町」と言ってよく、下請け工場を含む無数ともいえる関連企業を抱えていた。
私の通う小学校や中学校では、クラスの3分の1くらいは八幡製鉄(新日鉄)社員の子息、関連企業まで含むとおそらく半分以上が関係者だった。
北九州市には至る所にたくさんの社宅があり、全国さまざまな地域出身の転勤族である八幡製鉄の社員家族は、その社宅に住んでいた。
八幡製鉄は日本を代表する一大企業だったため、所有する施設や土地も生半可なものでなく、たとえば観光地としても有名な皿倉山の麓の風光明媚な土地など、てっきり市の所有地と思っていたところが実は八幡製鉄の私有地だったなどということがざらだった。
八幡東区の敷地と戸畑区の敷地とは6kmの専用鉄道で結ばれており、今でも電車が往復している。筆者など小学校のころなど、学校帰りに運転手に手を振って、手を振り返されて喜んでいた思い出がある。
ちなみに教科書では「やわたせいてつ」とよみがなが付けられているが、地元では「やはたせいてつ」と呼ばれていた。地名としての「八幡」も「やはた」である。

12. チロリアン(千鳥饅頭)

「千鳥饅頭」で有名な福岡の老舗千鳥屋が販売する洋風お菓子。つまり「ちどり」をもじったわけ。
ヨーロッパはチロルの高原を背景に外国人の女の子が「チロリアン、オイシイデスネ!」と片言の日本語で語るTVCMは、「千鳥饅頭」の純日本的なイメージと交錯して、奇妙な存在感を漂わせていた。
千鳥饅頭は関西ではかなり一般的だが、関東ではあまり見かけないかもしれない。
チロルチョコと似ているが全く関係はない。チロルチョコ発売当初、類似商品名ということで訴訟を起こしたことがある。

13. 日立金属

日立グループの鉄鋼業・金属部門を担い、特殊鋼売上高トップを誇る日立金属は、元々、戸畑区の戸畑鋳物がルーツ。
戸畑鋳物は後に「国産工業」と社名変更するが、1937年(昭和12年)日立製作所に吸収合併され、戦後の1956年(昭和31年)日立金属工業株式会社として生まれ変わる。
日立金属の本社は東京にあるが、戸畑鋳物の跡地は現在、戸畑駅横にイオン戸畑ショッピングセンターとなっている。
なお、戸畑鋳物は1931年(昭和6年)、ダット自動車製造を傘下におさめ、これが後の日産自動車となる。
 

14. 日産自動車

前項で挙げたとおり、日産自動車は実は、戸畑区にあった戸畑鋳物(現 日立金属)をルーツとする。
戸畑鋳物が1931年(昭和6年)、ダット自動車製造(本社:大阪)を事実上の企業買収で傘下におさめた後、紆余曲折を経て、1934年(昭和9年)日産自動車株式会社が生まれた。
 

15. 出光興産

石油類の精製・販売などを行っている総合商社、出光興産は、もともとは出光商会として1911年(明治44年設立)に門司区で創業。
1940年(昭和20年)、出光興産株式会社を設立。現在は東京に本社を置く。
2009年には創業100周年事業の一環として門司区東本町に会社発祥の地を伝える記念碑を建設した。
 

16. 都市モノレール

モノレールそのものは1824年、一般的な鉄道とほぼ同じ時期に実用化された。
日本のモノレールとしては1928年、大阪交通電気博覧会内の懸垂電車が第1号とされるがわずか1週間足らずの運行だった。
いわゆる都市モノレールは、1985年1月9日に開業したいわゆる北九州モノレール(正式名称「北九州高速鉄道」)が第1号とされている。
 

17. 吊り大橋(若戸大橋)

洞海湾にかかり、戸畑区と若松区を結ぶ若戸大橋は、日本における長大橋第1号であり、1962年開通当時は東洋一の吊り橋だった。
全長2.1km、4車線で、1987年5月までは歩道があった。歩道からは直に洞海湾が見下ろせ、赤一色に塗られたその容姿と相まって、北九州の人気観光スポットとして長年市民に愛されてきた。
いや~、パンチパーマは驚きですね!
パンチパーマは大阪の主婦の方が発祥と思ってました。

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